寝台 列車 大阪 発。 寝台列車に乗りたい!運行中の列車は?料金は?

日本海 (列車)

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寝台列車の魅力 現在の鉄道は高速時代となり、時間通りにいかに早く目的地に着くかを求めている。 新幹線をはじめ、リニアモーターカーも開発されていますよね? そんな中、寝台列車は一晩かけて目的地まで走っていく。 のんびりと流れる夜汽車の夜は、優雅な時間でした。 一期一会の出会い 乗客各々、夜汽車の旅を楽しむため、 ホームで食料やドリンクを買い込み、列車に乗り込んでいく。 ゆっくりと流れて行く時間の中、 夜汽車独特の雰囲気もあり、 見知らぬ乗客同士であっても、自然と言葉を交わす様になる。 一期一会 恐らく二度と会う事もない者同士、一時の出会い。 こんな事も、夜汽車に乗っていたからこそあった出会いでした。 夜汽車から見える、幻想的な夜景 のんびり窓の外に流れる夜景を見るのも楽しみの一つ。 暗闇の中に流れる光、誰もいない夜の駅。 幻想的な風景の中、時間を忘れ非日常を感じることが出来る一時。 寝て起きたら目的地 寝て起きたらそこは目的地。 時間を有効に使えるのも夜汽車の魅力の一つでした。 朝起きて窓の外を見ると、発車駅とは全然違う風景が広がっている。 そこは雪国だったりします。 寝台特急 日本海号 寝台特急日本海号とは、どういった列車だったのか? あまり良く知らない方の為にご説明したいと思います。 【走行区間】大阪~青森• 【走行距離】1,023㎞• 【所要時間約】15時間 大阪から青森へ、唯一の直通列車でした。 ビジネスマンやツアー客、 青森県の中高生が、大阪や京都へ修学旅行へ来るために利用される列車でもありました。 日本海号の編成• 機関車• 電源車• B寝台車 7両• A寝台車 1両 電源車を除いて、通常8両編成で運転されています。 多客時にはB寝台車をもう2両つないで、10両編成で運転されていました。 個室は無く、全車両カーテンで仕切るだけの解放型寝台。 寝台の個室化が進む中、最後はこういった昔ながらの方式が残った貴重な列車でした。 牽引担当機関車 日本海号を牽引するための機関車 EF81型電気機関車 通称 ハチイチ 写真は敦賀駅で機関車交換作業時のものです。 交直流機関車なので、交流区間でも直流区間でも走る事ができる万能機関車なんですね~! 日本海号が走る区間は 直流・交流・直流と、ころころ電化方式が変わります。 そのため ハチイチだと機関車交換なしで、全区間走ることが出来るという事です。 ローズピンクの車体がブルーの客車に良く合っている。 まさに日本海号の看板機関車といった感じです! まれに トワイライトエクスプレス専用機関車が牽引担当する事もありました。 電源車 カニ24形 電源車には ディーゼルエンジンが積んであります。 そのエンジンで発電し、客車に電力を供給していました。 少々うるさい車両ですが、とても重要な車両です。 個人的に電源車の 「ぼわ~ん、ぼわ~ん」っていう音好きです^^ 解放式B寝台 枕木方向に向けて、上下2段式の寝台を1区間に2セット設置されています。 窓側に供用のテーブルと、折り畳み式のはしごが設置されており、 各寝台には読書灯も設置されています。 反対の窓側は通路。 車両の一番端に、2段式の寝台を1セットだけ設置されている所もありました。 ここは人気があり、狙ってチケットを取る方も多くいました。 解放式なので、カーテンで仕切るだけの簡単なプライバシー保護です。 そのため、個室と違って人の存在を多く感じることができ、他人との距離も近くなる。 隣り合う寝台の乗客同士、仲良くなったりすることも多かった。 プルマン式A寝台 進行方向に向けて、2段式の寝台が通路を挟んで平行に設置されています。 B寝台より広い空間で、快適に過ごせるのが魅力! B寝台ではベッドシーツなど、自分で敷く必要があったのに対して、 A寝台はワンランク上なので、ベッドメイキングはあらかじめ施されています。 しかも下段では大きな窓を独り占め! プルマン式寝台は、寝台を解体して二人掛けのソファーにする事が出来ます。 日本海号では寝台の解体は行われていませんでしが、簡単に解体する事ができます。 夜は寝台、日中は座席にして昼行特急として利用。 昔の 寝台列車黄金時代には重宝した設備でした。 最後は日本海号にだけ連結されていた客車車両です。 下の写真は上段寝台の物です。 下段よりも、約1,000円安い値段で使用できます。 下段に比べて快適度はかなり下がりますが、 読書灯横の小窓から見える景色は魅力的でした! 4時間45分遅れ 冬の日本海側は雪風が強く、とても厳しいものです。 そのため列車が遅れる事や運休するなんてしょっちゅう。 4時間45分遅れ! 冬の厳しい日本海沿いを走る路線では、こんな事も普通にありました。 夜汽車に乗る人の多くは、乗ることが目的だったりする人も多い。 そんな人にとっては、それだけ夜汽車に乗っている時間が増えるので、 まさに夢の様な事です! この日の青森は大雪のため、 19時33分発の日本海号が、時間になってもホームに入線出来ない状態でした。 「運転中止になったらどうしよう~」とか心配もありましたが、 約3時間遅れて日本海号がホームに入線。 発車後も止まったり動いたりを繰り返し、 大阪に着いたのは次の日の16時前でした。 一日中、大好きなブルートレインに乗って過ごす事ができるなんて、 まさに夢の様な一日でした! 最後に 今回はバイクから少し離れ、夜汽車について書きました。 夜汽車にはこれまで色々乗りました。 その中で日本海号には一番良く乗車したので、私にとっては最も思い出深い列車です。 かつて、夜になると全国に走っていた夜汽車。 残念ですが、今となっては過去の産物になってしまいました。 定期寝台特急として、東京~高松・東京~出雲間を走る 『サンライズ瀬戸・出雲』がまだ残っています。 豪華寝台列車として、• ななつ星• トワイライトエクスプレス瑞風 みずかぜ• トランスイート四季島 しきしま がありますが、お値段が高過ぎて中々乗れません 涙。 チケットをととるのも大変でしょう。 古き良き昭和の面影を残したブルートレインはもうありません。 出来ることならもう一度、優雅な夜汽車の旅を味わってみたいですね!.

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寝台特急 日本海 大阪発 最後のブルートレイン!

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(平成24年)のダイヤ改正で定期運転は終了し、翌日からはとなった。 (平成25年)の臨時列車以降は設定が成されておらず、七尾線直通 以外では北陸新幹線の並行在来線となる第三セクター区間では原則的にJR西日本の特急設定をしない報道もあり、公式発表もないが事実上の廃止となっている。 概要 [ ] 特急「日本海」は、とを結ぶとして7月に運転を開始し、11月に「日本海」と名付けられた。 その後に特急列車化されている。 とを結ぶ列車としては、7月31日の羽越本線全通時に、 - 青森間で運転を開始した急行列車が最初である。 利用客の減少や車両老朽化のため、2012年3月17日ダイヤ改正で定期運行が終了し 、同日以降はとして、など多客期のみに運転される。 2013年春季以降は運行の設定がされていないが、JRからは存廃についての確定的な発表等はないほか、同年1月の時点ではJR東日本は存廃について検討中としていた。 しかし、その後も「日本海」は設定されておらず 、現時点では2013年1月6日が運行最終日となっている。 定期運転最終列車の寝台券は発売開始後、下り(青森行き)は15秒、上り(大阪行き)は10秒で完売した。 2015年3月14日にが開業し、の - 間がに移管したことで、この区間において西日本旅客鉄道の特急列車は直通を除いてすべて廃止されたため、前述の2013年1月6日の運行を最後に廃止となり、今後この区間での運用はできない。 一部の書籍では「廃止」と明記されている。 また、最後に定期列車・2012年度の臨時列車で使用されていたの分や「あおもり」・「東北夏祭り」で使用されていたが全車運行終了(事実上の廃車状態)となっていることから、臨時列車の運行としても困難と言える。 運行概況 [ ] 臨時列車化後のは下り列車が、大阪駅20:38発、青森駅12:42着となる。 上り列車の青森駅発車時刻は、16:21発となるが、大阪駅の到着は定期列車時代と同じ10:27となる。 このため、定期列車時代に比べて下り列車は1時間、上り列車は3時間ほど所要時間が長くなる。 新青森駅への停車が臨時列車化と同時になくなった。 また、一部区間で実施していたやでの乗車取り扱いも廃止された。 停車駅 [ ] - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 使用車両・編成 [ ] はJR西日本のに所属するが、はJR東日本のに所属する7両編成(うち1両は電源・荷物車)が使用されている。 座席はすべて開放式2段式B寝台となる。 EF81形は上り列車の敦賀駅で交換される。 なお、EF81形は日本海の運転日前に予め2両が青森車両センターへで回送され、1シーズンの運転すべてが終了すると同様に2両が重連で敦賀まで返却回送される [ ]。 定期列車時代の運行概況 [ ] 運転開始当初は1往復でを経由していたが、3月に湖西線が開業したことによって同線を経由するようになり、同時に2往復体制となった。 3月にはが開業したことにより、うち1往復がまで運転されるようになったが、3月には函館駅乗り入れが廃止され、2往復とも大阪 - 青森間の運転に変更され、3月に利用者の減少により1往復が廃止された。 による強風規制での運転を見合わせている場合、米原駅経由で迂回運転が行われていた。 また、冬季を中心に日本海沿岸を走る信越本線、羽越本線などの一部区間で強風や雪害の被害に遭いやすく、運休や大幅な遅延が発生することがあった。 は、JR西日本のが担当していた。 トワイライトエクスプレス色EF81による定期列車時代の「日本海」(大阪駅) 停車駅 [ ] 大阪駅 - 新大阪駅 - 京都駅 - 敦賀駅 - 福井駅 - 加賀温泉駅 - 金沢駅 - 高岡駅 - 富山駅 - 魚津駅 - 糸魚川駅 - 直江津駅 - 新津駅 - 鶴岡駅 - 酒田駅 - 羽後本荘駅 - 秋田駅 - 東能代駅 - 鷹ノ巣駅 - 大館駅 - 大鰐温泉駅 - 弘前駅 - 青森駅 2008年3月14日までは、加賀温泉駅・魚津駅・糸魚川駅・大鰐温泉駅は1・4号のみ停車、新津駅は1号 - 3号が、また、上記の停車駅のほか、2・3号は・・・にも停車していた [ ]。 2010年12月4日から定期運転終了まで、東北新幹線八戸 - 新青森間開業に伴い、にも停車するようになった。 函館乗り入れ時(1988年~2006年)は・にも停車。 9 - 12号車の車両は、連結しない日があった。 「」色の機関車が運用される場合もある。 かつては、秋田 - 青森間でが使用されたことがあるほか、羽越本線・奥羽本線の完成前、湖西線開業前には・・・などが使用されたことがある。 客車 [ ] 客車はJR東日本の青森車両センターに所属する24系客車が使用されていた。 2008年3月14日までは、1・4号がJR西日本のに所属する24系客車で、2・3号が青森車両センター所属車両で現行と同じ組成編成で運転されていた。 運用状況によっては、オハネ24形・オハネフ24形はオハネ25形・オハネフ25形を使用する場合もあった。 特急化された1968年10月に青森運転所(現:青森車両センター)所属のを導入したが、湖西線経由になった1975年3月にはに置き換えられた一方での連結は廃止された。 ここで「日本海」に使用された14系は、の所属車が「」として大阪駅に発着する編成のとして充当されており、長崎県の客貨車区に所属する車両の定期営業列車が青森駅まで運用される稀有な運転体制となった。 しかし「あかつき」と「日本海」のどちらかが遅延・運休するともう一方にも影響することがあった。 10月から当該列車はの24系客車に変更され、早岐客貨車区所属の14系客車による広域運用は終了した。 1988年の青函トンネル開業により1往復が函館駅までの運転になった際に食堂車復活の構想があり、食堂車が入る予定の5号車は欠車扱いとなった。 サシ489形とサシ481形を種車として鷹取工場でスシ24形に改造、塗色も青20号となって宮原に配属された。 しかし用意された食堂車スシ24形は再改造の上「トワイライトエクスプレス」に使用され、復活は実現しなかった。 12月4日のの全線開業に伴い、新青森駅に停車するようになり、繁忙期の編成は12両から10両になった。 そのため、オロネ24形が10号車となっていた。 なお、以下の区間ではを座席として利用できた(参照)。 ただし、寝台の設備(・など)は利用できない。 「トワイライトエクスプレス」塗色の機関車が使用されることもあった 利用状況 [ ] 陸上において、京阪神と東北地方を結ぶ路線の北限が()と()であるため、公共交通機関を利用した夜間移動では当列車が・・を結ぶ唯一の手段となっていた。 団体で・への応援や、・など学生の利用も多かった。 定期列車時代後期の利用状況は、ほかの・寝台列車と同様に利用客がやへの移行が進んだことや、宿泊料金を低減したが増えたことも影響し、JR西日本によると乗客数はJR発足時の1987年(約530人)と比較してでは約4分の1に減少しており、2010年度の平均乗車人数(1本当たり)は約130人で 、平均乗車率は5割程度だった。 さらに修学旅行の団体の利用も、少子化による生徒数の減少に加えて、利用に切り替えたり、や海外を行き先に選ぶ学校が増えるなど多様化したこともあって、晩年は減少傾向にあった。 臨時列車 [ ] あおもり [ ] 1988年より20系客車が使用された臨時列車として「日本海」81・82号として設定され、定期列車と同じく大阪 - 青森間で運転されていた。 のちに急行列車化されて「あおもり」に改称された。 からはに変更して運転されていたが、2000年以降は夏期のみの運転となり、2008年度を最後に設定がなくなった。 東北夏祭り号 [ ] の開催に合わせて運転されていた急行列車。 583系電車を使用し、神戸(のちに大阪)発青森行きのみ運転されていた。 度を最後に運転されていない。 沿革 [ ] 日本海縦貫線全通とその後の展開 [ ]• 1924年(13年):羽越本線の全通により日本海縦貫線が完成し、神戸 - 青森間で急行503・504列車(二等寝台車連結、富山 - 青森間は)の運転を開始。 (大正15年):503・504列車は全区間を急行列車化。 (4年):急行503・504列車の運転区間を大阪 - 青森間に変更。 (昭和5年):大阪 - 青森間の二・三等急行列車は列車番号を501・502列車(二等寝台車・食堂車連結)に変更、同時に大阪 - 青森間の普通列車として503・504列車(二等寝台車連結)が新設される。 (昭和8年):急行501・502列車に三等寝台車を連結。 (昭和9年):全国規模でが行われ、急行501・502列車(二等寝台車・三等寝台車・食堂車連結)、普通503・504列車(二等寝台車連結)はともに発着時刻を大幅に変更。 (昭和13年):大阪 - 青森間に普通列車1往復(505・506列車、寝台車連結なし)を増発。 (昭和16年):戦時体制への移行から三等寝台車が使用停止となり、急行501・502列車も三等寝台車を座席車に置き換え。 (昭和18年):大阪 - 青森間の急行501・502列車を二等寝台車連結の普通列車に格下げ 、日本海縦貫線の急行列車は廃止となる。 戦後急行「日本海」としての運転再開 [ ]• 1947年(昭和22年):大阪 - 青森間で急行列車の運転を開始。 1950年(昭和25年):大阪 - 青森間の急行列車を「日本海」と命名。 (昭和36年):羽越本線を走行中の急行「日本海」が崩れた土砂に乗り上げた()が発生し、が大破。 1968年(昭和43年)8月: - 青森間(東海道本線・経由)で臨時急行「あおもり」の運転を開始。 「日本海」ブルートレイン化以降 [ ]• 1968年(昭和43年):の改正により、次のように変更。 急行「日本海」が廃止され、「」に改称。 大阪 - 青森間で寝台特急「日本海」の運転を開始。 当初は青森運転所(現在の青森車両センター)所属のが用いられた。 (昭和44年)12月6日:「日本海」が、内で()が発生。 当時の規則では「火災が発生した場合は速やかに停車させなければならない」と規定されており、これに従えばトンネル内でただちに停車すべきところを、が「トンネルを走り抜けてから消火した方が良い」と機転を利かせてトンネルから脱出して消火し、鎮火させたため死傷者は皆無であった。 当時の国鉄は規則を無視した点を指摘して機関士を処分した。 その3年後に「きたぐに」でが発生し、30名の死者を出す惨事となった。 「きたぐに」の事故後、規則に捉われずトンネルを脱出した「日本海」の機関士の判断が正しかったことが国鉄の実験で証明され 、当該機関士への処分は撤回され、国鉄の規則も改正された。 これにより、14系寝台客車も自動消火装置が設置されるまでは製造中止。 集中電源方式の24系客車が製造となる。 (昭和46年):名古屋 - 秋田間で臨時急行「あきた」の運転を開始。 (昭和48年):・建設に伴い、臨時急行「あおもり」を日本海縦貫線経由に変更。 1975年(昭和50年):湖西線開業によるダイヤ改正により、次のように変更()。 「日本海」を湖西線経由に変更。 車両は14系寝台客車(早岐客貨車区)に変更され、食堂車の連結を廃止。 宮原客車区(現在の)のが使用されたとして、大阪 - 青森間で「日本海」1往復の運転を開始。 「日本海」は2往復になる。 国鉄業務合理化の一環として「日本海」牽引機関車への掲出を取りやめ。 (昭和51年)3月15日:季節列車の「日本海1・2号」の使用車両を宮原客車区の24系25形客車に変更。 1978年(昭和53年):季節列車の「日本海」を定期列車に変更。 24系客車(2・3号。 青森運転所)・24系25形客車(1・4号。 宮原客車区)各1往復に変更し 、早岐客貨車区所属の14系客車の運用を終了。 同時に下り2号を3号、上り1号を2号、上り2号を4号に変更。 1980年(昭和55年):「あけぼの」2往復の24系化により、「日本海3・2号」の青森運転所オロネ24が抜き取られ、B寝台車のモノクラス化する。 (昭和57年)• :上越新幹線開業に伴うにより、以下のように変更。 「日本海」のの連結を廃止。 「日本海」の使用車両を24系客車・24系25形客車各1往復から、24系25形客車2往復(2往復とも宮原客車区)に変更。 同じ区間を走る急行列車「きたぐに」が大阪 - 間の運転に変更されたため、大阪 - 青森間を運転する唯一の夜行列車になる。 12月:名古屋 - 秋田間の臨時急行「あきた」が廃止された。 (昭和59年):「日本海」2・3号が青森運転所の24系25形客車に再変更。 (昭和60年):「日本海」牽引機関車へのヘッドマーク掲出を再開。 (昭和61年)• 月日不明:名古屋 - 青森間の臨時急行「あおもり」が廃止された。 11月1日:速達化、効率化に伴うダイヤ改正により秋田 - 青森間のED75形使用を廃止。 (昭和62年):に伴い、「日本海」1・2号をJR西日本が、「日本海」3・4号をJR東日本がそれぞれ客車の管轄をする共同運行列車となる。 青函トンネル開業以降 [ ] 「日本海モトとレール」(1992年 京都駅)• 1988年(昭和63年)3月13日:青函トンネル開業によるダイヤ改正のため、次のように変更。 「日本海」2号と4号の客車の管轄会社を入れ替え• 「日本海」1・4号を大阪 - 函館間の運転に変更。 この際、函館行きの初列車はトンネル開業の前日(3月12日)に大阪駅を出発という設定となったため、トンネル開業当日から運転開始とした「」に先駆け、営業運転で青函トンネルを通過した最初の寝台特急 になった。 「日本海」3・2号に開放式A寝台車が連結される。 夏季期間中のみ「日本海」1・4号にを連結し「」として、搬送を実施。 (平成元年)7月21日:大阪 - 間で「」の運転を開始。 北海道内は内無停車で、・のみに停車。 当初はとしての運転だったが、同年12月21日から臨時列車扱いに変更される。 (平成2年)• 9月1日:ダイヤ改正により3・2号の編成が方転され、青森方に電源車が連結されるようになった。 これは共通運用である「あけぼの」「鳥海」「出羽」の上野駅騒音対策のための措置。 12月:大阪 - 青森間で臨時急行「あおもり」の運転を開始。 20系客車を使用。 1994年(平成6年)春:20系客車の老朽化に伴い、臨時急行「あおもり」の使用車両を583系電車に変更。 東北方面で20系客車を使用していた最後の営業列車であった。 (平成10年)• 8月22日:「日本海」1・4号の「日本海モトとレール」を終了。 12月1日:「日本海」1・4号に連結開始。 投入による寝台特急「」の電車化に伴う余剰車が使用された。 (平成16年)• - :の影響により全列車・全区間運休。 :「日本海」1・4号のみ運転再開。 - 間は徐行運転を行い、「日本海」2・3号は引き続き運休。 :「日本海」2・3号も運転再開。 ただし、長岡 - 柏崎間は徐行運転を行う。 (平成17年) - 2006年(平成18年):の影響により、全列車・全区間運休。 (平成18年)• :「日本海」1・4号の運転区間が大阪 - 青森間に短縮。 - :羽越本線 - あつみ温泉間の土砂崩れにより全列車・全区間運休。 2007年(平成19年)• この年、臨時急行「東北夏祭り号」の設定がなくなる。 - :の影響により全列車・全区間運休。 臨時急行「あおもり」も運休。 2008年(平成20年):「日本海」2・3号が廃止され、1往復になる。 客車は青森車両センター所属車両を継続して使用。 (平成21年):2000年代に入ってから夏季のみの運転となっていた臨時急行「あおもり」の運転がなくなる。 (平成22年):東北新幹線 - 新青森間開業に伴うダイヤ改正で、新たに新青森駅にも停車するようになる。 (平成23年) - :()の影響により全区間運休。 (平成24年)• :ダイヤ改正で定期運行を終了。 多客期の臨時列車扱いとなる。 :臨時運転される。 同時に、新青森駅は通過となる。 :夏季の臨時運行される。 (平成25年)• :2012年 - 2013年冬期の臨時運行が成された。 なお、3月以降は当列車の設定はなされていない。 (平成26年) - にかけて、ふれあいらんど岩泉のブルートレイン日本海のプレオープニングイベントとして、ビルFezan1階の出会いの広場において「鉄道画家・鈴木周作とブルートレイン日本海展」および、列車内部一般公開とともに「コミックいわて展」が開催された。 同年にブルートレイン日本海オープニングセレモニー開催。 オープンとなる。 そのオープンは機関紙「 10月号」(発行)と、『 池口英司「岩手「ふれあいらんど岩泉」24系寝台車を使用した宿泊施設「ブルートレイン日本海」誕生」『』2014年10月号、、2014年、 142-143頁。 』の発売号にブルートレイン日本海の記事で紹介された。 また、2015年3月現在でも維持のために応援募金を募っている。 また、9月以降はの被災により、ふれあいらんど岩泉が復興のボランティア拠点になっている関係もあり 、施設全体が当面は休業となっていたが、2017年3月14日に営業を再開している。 脚注 [ ] []• 朝日新聞(朝日新聞デジタル) 朝日新聞社. 2014年1月29日. の2014年2月18日時点におけるアーカイブ。 2014年11月14日閲覧。 産経新聞(MSN産経ニュース) 産業経済新聞社. 2011年7月5日. の2011年7月15日時点におけるアーカイブ。 2011年7月15日閲覧。 Sankei Biz 産経デジタル. 2012年3月17日. の2012年5月16日時点におけるアーカイブ。 スポニチ Sponichi Annex スポーツニッポン新聞社. 2011年11月18日. 『さらば「日本海」「きたぐに』玄光社 2012年 P32 - P35。 花束贈呈シーンなど、4ページに渡り同日の写真を掲載。 「お疲れ様!日本海、きたぐに」辻良樹 撮影。 日本語 PDF プレスリリース , 東日本旅客鉄道, 2011年12月16日 , 2015年11月14日閲覧。 日本語 PDF プレスリリース , 西日本旅客鉄道, 2011年12月26日 , 2015年11月14日閲覧。 産経WEST 産経デジタル. 2013年1月31日. 2019年2月26日閲覧。 に記載なし。 日本語 プレスリリース , 西日本旅客鉄道, 2012年2月16日 , 2015年11月14日閲覧。 , p. 110. 4 - 12。 MSN産経ニュース 産経デジタル. 2012年2月17日. の2012年2月17日時点におけるアーカイブ。 、pp. 24 - 27。 、pp. 20 - 23。 1号車のオロネ25形が検査のときは、所属のオロネ14形が代走していた。 asahi. com 朝日新聞社. 2012年1月12日. asahi. com 朝日新聞社. 2012年3月16日. 富山新聞 富山新聞社. 2011年12月17日. の2012年7月11日時点におけるアーカイブ。 金沢経済新聞 全景. 2012年3月19日. 日本語 PDF プレスリリース , 西日本旅客鉄道金沢支社, 2004年5月14日 , の2004年5月29日時点におけるアーカイブ。 , 2015年11月14日閲覧。 古山善之助『蒸機全盛時代の国鉄の特急と急行列車III』プレス・アイゼンバーン『レイル』No. 17 1986年2月、p. 古山善之助『蒸機全盛時代の国鉄の特急と急行列車III』プレス・アイゼンバーン『レイル』No. 17 1986年2月、p. 100• 古山善之助『蒸機全盛時代の国鉄の特急と急行列車III』プレス・アイゼンバーン『レイル』No. 17 1986年2月、p. 100• 古山善之助『蒸機全盛時代の国鉄の特急と急行列車III』プレス・アイゼンバーン『レイル』No. 17 1986年2月、p. 100• 古山善之助『蒸機全盛時代の国鉄の特急と急行列車III』プレス・アイゼンバーン『レイル』No. 17 1986年2月、p. 100• 、pp. 42 - 43。 、pp. 44 - 45。 『』第147回「列車炎上 救出せよ北陸トンネル火災」()2004年6月15日放送分より• 、pp. 45 - 46。 102. 、pp. 50 - 51。 既に1973年10月の時点で、ヘッドマーク掲出は大阪 - 米原間()のみに縮小されていた。 、pp. 48 - 49。 49,52。 、pp. 49 - 50, 52。 これに関連して「」の受持ちが宮原客車区から(現在の京都支所)に変更された。 同時に「つるぎ」の受持ちが向日町運転所から宮原客車区へ再度変更された。 、pp. 51 - 52。 、pp. 51 - 52, 54。 が発行した「青函トンネル」には、当列車のヘッドマークを掲出したがデザインされている。 、pp. 51 - 52。 9月1日から4日にかけて行われ「日本海3・2号」は9月2日青森発から方転編成が運用入り:『鉄道ファン』1990年11月号 p. 67 - 77• 、pp. 53 - 54。 北海道新聞 北海道新聞社. 2004年11月30日. - 東日本旅客鉄道プレスリリース 2004年11月25日• - 東日本旅客鉄道プレスリリース 2004年12月4日• 荘内日報 荘内日報社. 2006年1月20日. 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夜行列車資料館:夜行列車・寝台特急の歴史・編成史・時刻表変遷等を掲載

寝台 列車 大阪 発

あけぼの、北斗星、なは、北陸……。 かつてはブルートレインの愛称で親しまれた寝台列車が日本各地を繋いでいましたが、そのほとんどが廃止。 現在定期運行している寝台列車はサンライズ瀬戸・出雲だけです。 しかし寝台列車の旅そのものを楽しむクルーズトレインとして、TWILIGHT EXPRESS 瑞風、カシオペア紀行が登場!乗車のチャンスはまだまだあります。 運行時刻や料金、購入方法などをご紹介します。 新型コロナウイルスの発生と感染拡大に伴う、県境をまたいだ移動の自粛が2020年6月19日より解除されます。 また県境をまたぐ観光については「徐々に行い、人との間隔を確保すること」というガイドラインが政府より示されています。 各種報道機関の発表、施設や各自治体のホームページなどで最新の情報をご確認ください。 (LINEトラベルjp) 提供元:写真AC JRが定期運行している寝台列車は東京と四国を結ぶ「サンライズ瀬戸」と、東京と山陰地方を結ぶ「サンライズ出雲」だけ。 「サンライズ瀬戸・出雲」とまとめて呼ばれることが多いのは、途中まで車両を連結して走行するためです。 東京駅を出発する下りは岡山駅で切り離され、サンライズ瀬戸は瀬戸大橋を渡って四国へ、サンライズ出雲は伯備線に入り山陰へ向かいます。 (上りも岡山駅で連結します) 14両編成で、下りは1〜7号車がサンライズ瀬戸、8〜14号車がサンライズ出雲。 上りは逆になります。 サンライズ瀬戸・出雲の運行時間は? サンライズ瀬戸は東京駅と高松駅、サンライズ出雲は東京駅と出雲市駅の区間を走行。 2019年11月現在の時刻は以下の通りです。 提供元:写真AC 基本は1日1往復ですが、お盆や年末年始など繁忙期には臨時列車が運行されます。 また、サンライズ瀬戸は終点の高松駅より先、こんぴらさんの最寄り駅として知られる琴平駅まで延長運転することも。 運行日、時刻表などはJR各社の公式サイトをご確認ください。 サンライズ瀬戸・出雲の寝台タイプは? 車内の個室はA寝台とB寝台があり、グレードが高いのはA寝台です。 <A寝台> ・シングルデラックス 4号車と11号車の2階に6室ずつある、一人用の個室です。 シングルベッド、デスク、洗面台が備わった最上クラスの寝台で、洗面用具やタオルなどのアメニティもついています。 <B寝台> ・サンライズツイン 4号車と11号車の1階に4室ずつある二人用の個室で、ベッドが2台あり、室内の広さが特徴。 ・シングルツイン 室内に2段ベッドがあり、下のベッドはソファとしても使えます。 定員は2名ですが、1名利用も可。 ・シングル 最も部屋数が多い一人用の個室で、空いていれば1階と2階のどちらかにするか選べます。 室内はベッドのみ、簡易的なテーブルも。 ・ソロ シングルよりも狭く天井も低い一人用の個室で、上記の中では一番格安。 提供元:写真AC サンライズ瀬戸・出雲の寝台料金がかからない座席もあります。 5、12号車の「ノビノビ座席」と呼ばれるシートで、個室ではなく大部屋といった雰囲気。 車両を上下に区切り、さらに上段、下段のフロアを一人ずつのスペースに分けたもの。 開放的なカプセルホテル、といった雰囲気です。 なお隣との仕切りは、頭の部分を隠すちょっとした壁があります。 車両にはラウンジ、飲み物の自動販売機がありますが、車内販売はありません。 シャワー室を使うには、車内の券売機で数量限定のシャワーカードを購入します。 なお、シングルデラックスのみシャワーカードが1枚もらえて、シングルデラックス利用者だけの共用シャワー室を使えます。 サンライズ瀬戸・出雲の運賃、料金は? 寝台列車に乗るには、乗車券と寝台券、特急券を購入する必要があります。 乗車券と特急券は乗車する区間の距離によって金額が異なり、寝台券は利用する寝台によって以下のように料金が設定されています。 また、サンライズツインの利用は2名でも1名でも、おとな2名分の特急・寝台料金が必要です。 提供元:写真AC 東京駅から出雲市駅までサンライズ出雲に乗車する場合の料金を比べてみましょう。 特に数の少ないシングルデラックスやサンライズツインに乗りたいなら、早めの購入がおすすめです。 きっぷは駅の窓口、JR券の取り扱いのある旅行会社などで購入できます。 きっぷの発売は利用日の1ヶ月前の午前10時。 なるべく入手できる可能性を高くしたいのであれば、発売開始の10時ちょうどに窓口へ行くようにしましょう。 寝台券の発売日は始発駅の出発日が基準となるため、途中駅から乗車する場合で列車が前日の夜に始発駅を出発していたら、始発駅の出発日の1ヶ月前が発売日となります。 例: 静岡駅を1月20日の0:20に出発するサンライズ出雲は1月19日に東京駅を出発しているので、発売日は1ヶ月前の12月19日10時になります。 提供元:写真AC 寝台列車というと上野〜札幌間を結んでいたカシオペア、大阪〜札幌間を結んでいたトワイライトエクスプレスを思い出す方も多いのではないでしょうか。 憧れの寝台列車として絶大な人気を誇っていました。 カシオペアの車両は新たに「カシオペア紀行」として生まれ変わり、トワイライトエクスプレスは「TWILIGHT EXPRESS 瑞風」が名称を受け継ぎ、どちらも団体用臨時列車として限られた日に運行。 また、JR東日本が運行する「TRAIN SUITE 四季島」、JR九州の「ななつ星in九州」も大人気! いずれもツアー専用列車のため、旅行会社で予約する必要があります。 駅の窓口で個別にきっぷを購入することはできません。 寝台列車でのんびり旅行を楽しもう 新幹線や飛行機に乗ってしまえば、日本各地へあっという間に移動することができます。 きっぷ代だけを見ると高い気がするものですが、移動費用にホテル代が含まれていると考えれば、実はお値打ちなんですよ。 サンライズ瀬戸に乗って四国旅、サンライズ出雲に乗って出雲大社参拝、今こそ寝台列車の旅を楽しみましょう! 本記事は寝台列車の概要を説明したもので、時刻、料金などは2019年11月現在のものです。 最新の情報は各公式サイトをご確認ください。

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