日本人ならコメを食え。 食えなんだら食うな

コメを食べなくなった日本人 でもパンは食べる

日本人ならコメを食え

今日はすごい風と雨ですね!! 皆様、お怪我などされていないでしょうか? 私は外出の予定を取りやめ、自宅で過ごしました。 お譲の昼寝のタイミングがいつもとずれてしまい、午後にまとめて寝かせて仕事をしようと思っていた思惑が外れてしまいました。 子供だって大人と同じように毎日気分も違うだろうし、毎日同じようにいかないものですよね。 もう一丁前に1人の人間です。 だから毎日発見があって楽しいのですよね。 さて、玄米の話をしてきましたが、 先月の産経新聞に「日本人ならコメを食え!」という記事が載っていました。 内容はコンビニさんが輸入食材が高騰している中、コメは値上がりしていないことから、 おにぎりなどコメのメニューに力をいれているというものでした。 いろいろな食品が値上げをしています。 特に、主食になるパンや麺類の小麦。 家計を預かる主婦としては本当に痛い やはり見直すところは主食のコメなのでは 私は香ばしいパンのかおりが大好きで、よくパン屋さんでパンを買います。 おいしいパンは大好きです。 でもやはり3食の主食はコメでないと、なにか物足りなくて ついつい余計に食べてしまいたくなります。 日本人が先祖代々食べ続けてきたコメ。 日本の風土にあっているからこそ、コメが食べ続けられ、 食事をご飯ともいうほど、 私達になくてはならないものになってきたのだとおもうんです。 我が家のお譲はコメが大好きです! こうなるように仕組んだのかな?(笑 パンもうどんも食べるけれど、基本の主食はコメにしています。 ご飯はむしゃむしゃ「うま~」と食べてくれるんですよ.

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日本人ならコメを食え!(産経新聞より) : e

日本人ならコメを食え

昔の日本は貧しかった、という話をよく聞きますが 具体的にいつのことをいっているんですか? 戦後の闇市などの時代をいっているんでしょうか? とはいえ、一部の都会だけがそうであっただけで全体的にみると大して貧しいわけでもなかったみたいです 〜江戸時代までみても飢饉でもない限りは餓死なんてしなかったみたいです 他の国と比べても、取り立てていうほど貧しかった時代があるようには思えません 補足そもそも飯もろくに食えなかった論のひとは、日本が長寿国だったのをどう説明するんでしょうか? 貧しい国ほど平均寿命は短いです 倭国あたりの時代から、中国人が倭には100歳(今と数え方もが違うという説もある)のやつまでいる、と書いてくらいです それ以降ずっと長寿です 馬車馬のように働いて飯も食えないほど貧しくてよく餓死していたのに長寿、どう説明するんですか? 質問者さんはお若い方で 回答者の面々は食べ物を粗末に扱うと 親に目玉が飛び出るほどぶん殴られたクチですから 大きな相違があるのは仕方がないとは言え 質問者さんの意見を聞くと小さな驚きですね。 日本列島は有史以前から貧しい列島でしょう。 人口推移をみると 弥生時代 明治維新 昭和20年終戦 他所の国から技術や食料が入って来て 人口が増える事が解ります。 別の方に映画「怒りの葡萄」と書かれていますが 大恐慌時代1930年代が舞台の映画ですね。 主人公家族は車で移動しますが 日本で車を一般人が買うようになるのは1965年以降でしょうか 昭和40年代であればサラリーマンは背広(スーツ)を月賦(ローン)で 買うのが一般的だったと思いますよ。 大恐慌時代を較べても アメリカでは「怒りの葡萄」ですが 日本の貧農小作人は娘を売って借地代を払っていたのですから 何ともですね。 貧困の定義をせずに、同時代の外国を水平的に比較して「日本と同様だった」というのは、いかがなものか? 戦前日本の農村地主や都会中産階級の生活は、そりゃ飢餓とは無縁で文化的で安定していたけど、国民の大宗をなす小作農や、漁村山村の民、都会の縁辺労働者、職人の生活水準は 極貧だったというのを知らないのかな? 宗教による共助も、政府の社会福祉制度もない。 多くの都市中流家庭には下人や女中がいたが、彼らがなぜ故郷を追われたのか? 「おしん」を見ていないのか? 富国強兵のための兵隊要員で人口増加を図ったが、食えるほどの土地はなく、コメ品種改良ができないから、中部東北から北では、ソバやヒエを食っていたのだ。 だから移民や出稼ぎ(炭鉱、満州、遠洋漁業)するしかない。 同時代、米国の底辺労働者は少なくとも居住施設はあり、パンと肉が食えている。 中古自動車も買えた。 農村ではトラクターで耕作していてのでエンジンを直すなどお手の物、日本農民はスキとクワの生活だ。 米国の貧困な居住環境の写真を出している回答者は工場季節労働者のそれだということがわかっているのか? 日本であれに相当するのは、半島や沖縄出の人が大都市河原を占拠して建てた粗末な、便所もないバラックだ。 戦後1970年頃まで大都市周辺にあったぞ。 日本の農村や都会では、貧困で独立できない妹弟が大半で親と同居していたのだ。 江戸時代に餓死がないとか「そこそこ食えた」のは、赤子の間引きや姨捨てをやって「友倒れしないために 口を増やせなかった」からだ。 同時代の欧米諸国にはキリスト教信仰があって既に共助の概念が確立していた、どっちが豊かだろうか? ------------ 日本でも栄養源としての 卵の評価は高いが、ブロイラ種がなく生産が少なく流通網のない時代では貴重品だった。 高価だから需要が乏しかったのだ。 戦後でも、卵はおが屑をしいた紙箱に入れて病気見舞いに使われていた。 飼料があって量産農家のあった欧米では、低価格で児童が食えたから、白人種の体格と体力が築かれた、どちらのクニが豊かだろうか? 「日本で鮑が貧乏人の食い物だった」というのは誤伝だ。 大昔から乾し鮑として宮中への献上品だったのだから、加工し流通ルートがある地域では、現地で消費しない。 漁村でしか流通しない小粒か他の巻貝と混同している。 その代わり、辺境の漁村ではコメなど食えない、イモか麦だ。 コメがそこそこ出回るのは、1930年代に配給制度が登場して以降のことで、そのコメは半島や大陸からも搬出されている。 (常用食品をトリアゲられた植民地の農民の苦悩はいか程だったか?!)。 闇市とは、日本通貨が信用ならないために、また自らが食うために、失業者が半ば物物交換で都会で市を開いたもの(経済統制下では禁止行為だから警察が取り締まった)。 同様に、地方でも貨幣が信用ならなかったから 都会から買い出しに来た民から物と交換で食料を売ったのだ。 薬品やレコードを買うには、全国共通で米ドルが必要だったのだ。 この自国通貨が信頼できない状態を「全国的に貧しい」、というのだ。 社会主義崩壊後のロシアでも起きている。 1960年までは、お昼の学校給食が唯一の栄養源、という子供がいたぞ。 戦時中の回想録や証言録など見ても、地方でも食糧難が深刻であることが判りますし。 都会から大量の住人が田舎へ疎開していきましたから、村落の生活経済が崩壊するのは道理なのですよ。 民俗学や文化人類学の調査記録を見ても、戦後になっても、地方や離島では相当に困窮している人々がいることが判ります。 地方格差は激しかった、なんてのは常識の範疇です。 明治になって西洋科学が入ってくると、日本人の栄養状態が悪いことが判明しましrた。 そのため佐伯矩が栄養研究所を作り、日本人の栄養事情を改善しようと取り組みましたが、疫学的に有意な結果が出たのは戦後のことです (国民の栄養状態と体格は、国力・軍事力に直結するので、詳細なデータが残っています) 「明治以降は小作が増えた」というご指摘が既にありますが、明治になって近代国家になると、経済構造が変わり、私権は絶対的に擁護される代わりに、田畑など生産資本は個人の財産となりました。 また外国から安価な商品作物や製品が流入したため、没落して、小作になるか、都会に出て来てスラム住人になる農民が増えました。 そもそも日本の土地は地味が弱く、農業生産性に乏しいんです。

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こんなこともあるんですネ〜 全員靴を履いていただろうに、後に続く人はいなかったのか。 昼休みに三省堂本店へ行くべく駿河台下交差点を渡ろうとしていると、交差点真ん中で立ち往生している男の人がいます。 どうやら盲目のようで白いステッキで地面の手がかりを探しています。 何はともあれ誘導して交差点を渡りきり「どこへ行くんですか?」と訊ねれば、三省堂別館とマクドナルドハンバーガーの間の小路から150メートルくらいの「おむすび茶屋」というお店に行きたいとのこと。 放っておくわけにもいかないから「それならご案内しますよ」と肩を貸しての道すがら、「三省堂別館も取り壊して立て直しするようですヨ」とか「この丸香という讃岐うどんの店はお昼どきは行列ができるほどで、いまでも50人ほどが店の外に並んでいます」などと解説。 その盲目の人は「自分はうどんも好きなので今度試したい」「それなら私のオススメは釜揚げうどんです」などと丸香の宣伝をするうちに目的地の「おむすび茶屋」に到着。 後はお店のスタッフに託して帰ってきたことがありました。 というワケで、あの盲目の男性を案内したときチラッと見た「おむすび茶屋」のおにぎりがじつに美味しそうだったので、改めて行ってきましたよ「おむすび茶屋」へ。 この「おむすび茶屋」は店名そのままのおにぎり専門店。 『ときのひかり』という佐渡のお米を使っているのがセールスポイントで若い女性客が多い。 そういえばコンビニではおにぎりが一番の売れ筋商品で各コンビ二ではおにぎりの開発にしのぎを削っていることを聞いたことがあります。 ただの塩むすびを最初に試してみたら、、、やはりお米が良いと塩むすびだけでも充分に美味しい。 パスタだパンだラーメンだといっても、日本人にはやっぱりお米だぜ! 「日本めんくい党」総裁の立場を忘れておにぎりを貪り食ったのでした。 そういえば、 あの盲目の男性をお店の人に託して帰ってきたけれど、彼はこのおにぎりを食べるためにわざわざ不自由を押して神保町まで来たんだろうか?と、ちょっと気になったお昼休みでした。 産經新聞12月16日(火)号によれば. 突然立ち上がった男性記者は 「イラク人からの別れのキスだ。 イヌめ」 と叫んで最初の靴を投げ、続いて 「これは夫を失った女性や孤児、イラクで命を失ったすべての人たちのためだ」 と言って、自分の履いていたもう一方の靴を投げつけた」. ということです。 この動画を見るとブッシュさんは 「もっと来い!もっと来い!」と ハプニングを楽しんでいる ヤンチャ坊主のような表情を浮かべていますね。 ヤツは個人的にはイイヤツのようだと思ったりして。 それでも. 日本人のオレは米を食う 米国人のオマエは靴でも喰らえ!!! a a オレ.

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