月 に 溺れる かぐや 姫。 月の世界のかぐや姫

月周回衛星「かぐや(SELENE)」

月 に 溺れる かぐや 姫

スポンサードリンク それではその「かぐや」という名前の意味は何なのか、じつはよく分かっていません。 かぐや姫のお話を呼んだお子さんに、「どうして、かぐや姫という名前なの?」と聞かれても、現代の私たちは誰も本当の意味や理由は分からないのですね。 しかしその名前の謎を、いろいろと推測することはできます。 かぐや=輝く? 一般によく言われるのは、光る竹の中から見つけた美しい姫なので、光り輝くという意味の「耀う/赫う(かがよう)」などの言葉から「かがやく姫=かぐや姫」と名付けられたという解釈です。 何となく納得しますが、果たしてそれだけの意味なのでしょうか。 多くの謎が隠されている竹取物語にしては、シンプルすぎるかも知れません。 古来より、名前というのはその人やその物、神霊などの本質を表すものとして、とても重要視されてきました。 特に神霊や妖怪など、この世のものではないものの本質や本体を知るには、本当の名前を知る必要がありました。 ですから、この世の人ではない女性のかぐや姫という名前にも、何か本質や本体を表すものが隠されているかも知れないのです。 かぐや姫の名付け親 かぐや姫という名前は、竹取の翁がつけた名前だと誤解されがちですが、じつはそうではありません。 この名前は、「三室戸斎部(みむろどいんべ)の秋田」という人を呼んで、つけさせたと言うのです。 三室戸斎部の「斎部」とは「忌部氏(いんべし)」という氏族のこと、あるいは忌部という部民(職業ごとに区分された人たち)や忌部氏の私有民のことです。 斎部・忌部の文字のとおり「斎戒(けがれを清める)」を意味していて、朝廷の祭祀をはじめ祭具づくり、宮殿の造営などを行っていました。 また「三室戸」の三室は「三室山(奈良県斑鳩町)」のことと考えられていて、戸は人々の集団のことですから、三室山の辺りに住む忌部の一族・部民の秋田という人ということになります。 そして竹取の翁が、わざわざこの忌部の秋田という人を呼んで名前をつけさせたのですから、竹取の翁と忌部の一族・部民と大いに関係があることがわかります。 現代でも産まれた赤ちゃんの名前を、祖父などその一家や一族の長老が命名する習わしがありますが、秋田という人は三室戸の忌部一族の長老であったのかも知れません。 かぐや姫と2つの「かぐや」との関連性 さて、かぐや姫の名前の「かぐや」からその関係性が言われているのは、ひとつは古事記・日本書紀に登場する火の神である「火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)」です。 またもうひとつは、奈良県橿原市の「天香具山(あめのかぐやま)」です。 迦具土神は、神生み神話で伊耶那美(いざなみ)から生まれますが、火の神であったために陰部を焼かれ伊耶那美はそれが原因で死んでしまいます。 そして怒った伊耶那岐(いざなぎ)により、十拳剣で殺されてしまうのです。 このように迦具土神は、生まれながらにして罪を被せられている神というわけです。 一方、天香具山は天照大神の「天岩戸神話」の大和国における伝承地とされる神聖な山で、天照大神が隠れた天岩戸とされる巨石をご神体とした天岩戸神社があります。 つまり光り輝く「日の神=天照大神」が一旦隠れ、再び姿を現した場所という意味合いがあります。 一方は、罪を被せられて生まれて来た「火」の神。 もう一方は、一旦隠れ、再び姿を現し光り輝く「日」の神。 どちらも伊耶那岐の子であり、「ひ」の神ではあるのですが。 暗い竹の中に隠され、のちに光り輝くように美しく育つかぐや姫の「かぐや」という名前には、この2つの神との関連が隠されているのでしょうか。 かぐや姫は、じつは竹の中から現れた=再び生まれ出たときには、生まれながらにして罪を背負っていたことがあとでわかるのです。

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かぐや姫の物語のその後は死亡した?月に帰る理由や最後伝えたかったことは?

月 に 溺れる かぐや 姫

かぐや姫のその後は? かぐや姫のラストシーンは最後月の使者に連れてかれてしまい幕を閉じましたが、 その後については触れていませんでした。 一体かぐや姫は月に帰った後どうなのでしょう。 記憶は? 記憶自体はなくなりました。 しかし、わらべ唄と地球のことは脳裏に焼き付いています。 なので振り返るときに涙を流していますね。 言ってしまえばこれがかぐや姫の罰とういことですね。 なのでその後は新しい記憶で感情もないまま生きてくことがわかります。 死亡した? 月に帰ってから死亡するといったことはありません。 ですが正直言って月に帰るのは死後の世界に行くのと同じようにも感じます。 「かぐや姫の物語」は死と仏教の色が大変強いものとなっています。 最後のシーンなんかは記憶がなくなりますし帰ることを免れなかったので死を象徴しているようにも思えました。 仏教の考え方は、現世は汚いものを自分から煩悩を断ち切ることができれば極楽浄土に転生できるというものです。 かぐや姫の物語もストーリーとしてはこれに沿っている部分があります。 なのでかぐや姫の物語のテーマとしては「死」と「仏教」なのだと思われます。 結局どうなる? 結局どうなるのかといった答えですが、 正直なところ原作にもその後は語られていないので情報はありませんでした…。 しかし、自分の想像で考えて良いものだと思われます。 竹取物語とかぐや姫の物語は結構考えさせながらのストーリー展開だと思うのでどのようになるかは想像するのが一番いいかもしれません。 月に帰る理由は? 作品を視聴しただけだと月に帰る理由は何だったのかイマイチわからないですよね。 かぐや姫はもともと月にいたわけですが地球に憧れを持ってしまったことがバレてしまい月の死者から「地球の穢れを思いしってこい」とのことで地球に行くことになります。 そして地球で暮らしていく中で人間の醜さや穢れさをまんまと堪能しました。 翁には娘ではなくものとして扱われたり、顔もしらない男から求婚を求められたりと散々な目にあいました。 そんなこんなでかぐや姫は「月へ帰りたい」と願ってしまい、月の使者はほら見ろと言わんばかりにかぐや姫を迎えに来ました。 なので月に帰った理由としては、 かぐや姫が一瞬でも月に帰りたいと思ったことがきっかけなんですね。 さらになぜかぐや姫が月に帰ることをしっていたかというと、 罪の期限を知っていたからですね。 月に帰るきっかけとしてはかぐや姫が帰りたいと思ったとことから始まりましたが、どのみち罰の期限は満月の夜と知っていたのです。 最後伝えたかったこととは? かぐや姫の物語は難しいので正直何を伝えたいのかがわかりません。 さらに子供にわかりやすいように作られていないのです。 では何を伝えたかったのでしょう。 ・いろんな感情があるからこそ思いやることも出来るし生きる実感を得ることができる ・精一杯生きることはとても尊く素晴らしいこと ・今生きていること時代に感謝をし、この世にいられる時間を大切にしよう といったことを伝えたいのかと思いました。 生きることの大切や感情など様々な部分でとても考えさせられる作品なのではないでしょうか。 個人的にはかなり奥深い作品で生命の美しさ、醜さ、悲しさや喜怒哀楽を巧みな表現法でまとめていてとても素晴らしいと感じました。 まとめ ・月に帰った後は死亡しない ・伝えたかったことは「生きる」ことの大切さ 最後まで読んでいただき、ありがとうございました!.

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「かぐや姫の物語」の「姫の犯した罪と罰。」の意味を解説![高畑勲監督作品]

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日本の神話 日本には、八百万の神々がいます。 神々の物語は、日本最古の 歴史書である『古事記』や『日本書紀』だけでなく、『風土記』や 『日本霊異記』、そして口承でも伝えられています。 『古事記』によると、天と地が分かれ始めたとき、天御中主神や 高皇産霊尊ら五柱の神が生まれ、次に国常立尊が生まれて 天地ができ、さらに雲や、泥や砂の神も生まれました。 そして、 夫婦の創造神である 伊弉諾尊 いざなぎのみことと 伊弉再尊 いざなみのみことが生まれて国ができます。 ふたりは、岩と土の神や、風や木の神、山や川、野の神などたくさんの 神々を生み、火の神を生みます。 しかし、伊弉再尊は火の神を生んだ ときに、身を焼かれて死んでしまいます。 嘆き悲しんだ伊弉諾尊は、 黄泉の国まで亡き妻を求めておもむき、帰るように説得します。 しかし彼女が、黄泉の国の神にかけあっているのを待つあいだに、 見てはいけないといわれたその姿を、伊弉諾尊は見てしまいます。 蛆のわいたその恐ろしい姿に、 伊弉諾尊は驚いて逃げ帰ってしまいます。 伊弉諾尊は、黄泉の国の汚れをはらうために水辺で身を清めます。 衣や腕輪などを脱ぎ捨てるとそれぞれが神になり、左の眼を洗うと 月の神である月読尊が、鼻を洗うと須佐之男命が生まれました。 「次に、右の御目洗ひたまふ時に成りませる神の名は、月読の命」。 『古事記』は、次々に生まれる神々のひとりとして、月の神誕生の ようすを、淡々と記しています。 そして、伊弉諾尊は、 天照大神 あまてらすおおみかみには 天上界を、 月読尊には夜の世界を、須佐之男命には海の世界を 治めるように 命じました。 ギリシアやローマの神話では女神だった 月の神は、日本では男性の神。 「月読」は月を数えること。 月齢を読むことに由来する名前です。 『万葉集』巻十三にこんな歌があります。 天橋も長くもがも。 高山も高くもがも。 月読がもっている若返りの水を取って、思う君に差し上げて、 若返らせようものを」。 欠けてはふたたび満ちる月には、 若返りの水があるとされていたのです。 『竹取物語』は、平安時代初期につくられたといわれる日本最古の 物語です。 竹取の翁が、光る竹の中にかぐや姫を見つけた時の描写。 「三寸ばかりなる人いと美しうて居たり。 ……美しきこと限なし。 いと幼ければ、籠に入れて養ふ」。 光る竹のなかの美しい娘は、長じてさらに美しくなり、幾人もの 貴公子から求婚されながら、難題を出してはそれを拒みます。 帝からの熱烈なお召しにも応えようとしません。 そしてある年の 春から、かぐや姫は月を見ては嘆き悲しむようになるのです。 「月の顔見るは忌む事に制しけれども、ともすれば、人間にも月を見ては、いみじく泣き給ふ」。 「月を見ることは慎むべき事だと止めたけれども」 とあります。 当時、月を見るのは不吉なこととされていました。 月は、 恐れの対象でもあったといわれています。 そして、八月望月、中秋の 名月の夜、かぐや姫は告白します。 「おのが身は、この國の人のもあらず、月の都の人なり」。 月の国の人は、たいへん美しく年もとらないのだといいます。 帝の兵や 翁たちの必死の抵抗も虚しく、かぐや姫は月の都に帰って行きます。 不死の薬を残して、 かぐや姫を失った翁と媼は、血の涙を流して 悲しみ、その薬を飲まずに病み伏してしまいます。 帝も嘆き悲しみ、 かぐや姫に逢えないあれば不死の薬も何になろうと、富士山の頂で それを燃やしてしまいます。 沖縄の宮古島にも、月の影についての物語があります。 太陽と月は、 人々を長生きさせるために、若返りの水「変若水」をかけようと 考えます。 アカリヤザガマという怪物に変若水と死水をもたせて、 変若水を人に、死水を蛇にかけるように命じます。 ところが、途中であらわれた蛇が変若水を浴びてしまったため、 アカリヤザガマは人に死水をかけてしまいます。 そのために人は死ぬ ようになってしまったのです。 怒った太陽は、アカリヤザガマを月に 上げ、桶をかついで立っているように命じました。 月の影は、アカリヤザガマの姿だということです。 あるところに怠け者の少年がいました。 彼は母親から水くみを 命じられたのに、ちっとも出かけません。 やっと出かけると今度は 帰って来ません。 心配になった母親が探しに出かけます。 川で神魚である鮭にたずねると、少年は怠けた罰として神々に、 月に上げられてしまったといいます。 月に影があるのは、桶をもったその少年の姿だということです。

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