リュック ベッソン ロリコン。 広末涼子の枕依存症の噂は本当!?衝撃的な奇行や薬漬けの過去も暴露!!

奇跡的な傑作

リュック ベッソン ロリコン

第19回フランス映画祭の団長として、先ごろ来日。 「ここ30年、日本は何度となく訪れた。 フランスで日本(の地震や原発の状況)を心配しているよりも、自分の目で確かめたかった」と言う。 取材場所は、皇居が一望できるホテルのスイートルーム。 以前は、取材時に何杯も砂糖を入れた紅茶を飲んでいたが、今回彼の前に置かれたのはミネラルウオーターだった。 10年ほど前、「人生で一番大切なものは何か」と尋ねたことがある。 今回、同じ質問を投げかけると、返ってきたのは「健康」のひとこと。 これは10年前と変わらなかった。 健康を維持するために、「いまは砂糖も減らし、水分も控えている。 まるでシンデレラみたいな生活をしている」と笑った。 「実は2年で20キロほど減量した。 一番太っていた時は140キロ近くあった。 まさに関取さ。 今は104キロくらいだから、相撲取りとしては小さなほうだけど(笑)」 この2年間、「走ってもいるし、毎日腹筋を150回から200回はしているんだ」と言う。 「ニキータ」のアンヌ・パリロー(41)、「フィフス・エレメント」のミラ・ジョヴォヴィッチ(35)など、ベッソン映画のヒロインに抜擢された女優は次々スターダムにのし上がっていく。 最近では、「ブラック・スワン」でアカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞したナタリー・ポートマン(30)。 彼女が1994年に「レオン」のヒロインを探すベッソンの前に現れた時は、まだ11歳だった。 幼い少女に何を見たのか。 「卓球のコーチなら、11歳のジュニア選手を見ても、その子の力量、能力がわかる。 それと同じ、当たり前のことさ。 当時のナタリーに出会ったら、誰だって彼女を選ぶよ。 それだけのオーラをナタリーは放っていたから。 僕は何も特別なわけでない、普通なだけだよ」 「WASABI」(2001年)に主演した広末涼子(31)は、パーティーの席上で来日したベッソンの目に留まりヒロインを射止めた。 「最初に東京で広末涼子と出会ったときは、ほかにも若い女優さんがいたし、彼女は決して目立っていなかった。 ところが出演作をビデオで見たら、際立つ存在感がある。 それで彼女を起用したんだ」 その後、広末は日本映画で初めてアカデミー賞外国語映画賞を受賞する「おくりびと」(09年)にも主演した。 ベッソンの目にかなった女優は世界に飛躍するというジンクスは広末も実証している。 今年のカンヌで審査員賞を受賞して注目を集める「ポリス」(11年)の監督マイウェン(35)は、16歳でベッソンの娘を産み、その後「フィフス・エレメント」(97)にも出演した女優だった。 ベッソンの女優を見る目、女性を見る目に狂いはない。 公開を控えるシリーズ3作目の「アーサー3(仮)」は、「12歳以下の少年少女のために作った」という。 ジャンルを問わず映画を生み続ける職人。 その女優眼があるかぎり、フランス映画界もまた安泰だ。 1959年3月18日、フランス・パリ生まれ、52歳。 17歳で高校を中退。 ゴーモン社でニュース映画のアシスタントをした後、米ハリウッドで映画製作にかかわり、再びフランスに戻って製作会社を設立。 「最後の戦い」(83)で長編監督デビュー。 以後、「サブウェイ」(84)、「グレート・ブルー」(89)を監督。 「ニキータ」(90)に続き、アメリカ進出第1作「レオン」(94)が大ヒット。 「フィフス・エレメント」(97)、「ジャンヌ・ダルク」(99)以後は監督よりも製作中心となり、「WASABI」(2001)、「トランスポーター」シリーズなどを製作。 監督として「アーサー3(仮)」(10)に続いて、ミシェル・ヨー主演でアウンサン・スー・チーさんの半生を描いた「ザ・レディ」(10)を英仏合作で手がけ、9月8日からカナダで開催される第36回トロント国際映画祭で上映される。

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昨日観た映画からのおすすめ(リュック・ベッソン作品)

リュック ベッソン ロリコン

映画「レオン」が面白くないと感じた3つの理由。 リュック・ベッソンの公私混同作 映画「レオン」が面白くないと感じた3つの理由。 リュック・ベッソンの公私混同作• 2020.  監督・脚本:リュック・ベッソン 出演者: ジャン・レノ、ナタリー・ポートマン、ゲイリー・オールドマン あらすじ 凶暴な純愛がここに完結する。 『グラン・ブルー』『二キータ』のリュック・ベッソン監督が、ニューヨークを舞台に放つアクション・エンタテインメント!アカデミー賞女優、ナタリー・ポートマン鮮烈のデビュー作。 『レオン オリジナル版』には未使用の、レオンとマチルダが心を通わす過程がより緻密に描かれた、22分のシーンを加えた完全版。 家族を惨殺された12歳の少女マチルダは、隣の部屋に住む殺し屋レオンに助けを求める。 戸惑いながらもマチルダに救いの手を差し出すレオン。 そこから二人の奇妙な共同生活が始まった。 弟の仇を討ちたいというマチルダにしかたなく殺しのテクニックを教えるレオンと、読み書きもできないレオンに文字を教えるマチルダ。 やがて二人の間には父娘とも恋人ともつかない愛情が芽生えていくが…。 (Filmarks) 1994年のアメリカ・フランス合作 映画 「レオン」。 殺し屋のおじさんと当時12のナタリー・ポートマン扮した少女が奇妙な同居生活を始めるというこの映画は、日本でもずばぬけて知名度が高くファンが多い映画という印象がある。 個人的には、この映画が好きになれなかった。 ストーリーのとっつきやすさと演出は十分だと思うので、レオンが好きな人の気持ちが全く理解できないわけではないし、否定する気は全くない。 本当に個人的な感覚として面白くないと感じてしまったというだけだ。 今からなぜそう思ったのか理由を3つの項目に分けて書いていくので一意見として参考程度に知ってもらえればと思う。 リュック・ベッソンの公私混同作 映画「レオン」の中では、マチルダがこのようなセリフを言ってレオンを誘惑する場面がある。 「女の子の初体験は大切なの。 その後の性生活に影響が。 姉が持っていた本で読んだの。 私の友達は初体験を大切にしない。 好きでもない男の子と平気で…。 ただの背伸びよ。 初めてタバコを吸うのと同じ。 幸せな初体験をしたいわ」 ロリコンを題材にした映画を制作するのは問題ないと思う。 それは映画の中の話であって、たとえ監督自身がそのような願望を持っていたとしても、作品として完成されていれば別に良いのではと個人的には思っている。 でもこの発言はリュック・ベッソンの願望を具現化したかのような都合の良くてステレオタイプな「孤独な少女」像が押し付けられている感じがして凄く嫌悪感を抱く。 マチルダが家族を殺されたという生い立ちのせいで父親の愛情に飢えていたとしても、こんなおじさんに性的に媚びるような少女に設定する必要がどこにあったんだろうか。 実は元の脚本では2人が肉体的に恋人関係になるシーンが描かれていたが、ナタリー・ポートマンの両親からの反対で削除されたという話がある。 このシーンがあったら多分ここまで名作と言われていないと思うから排除して正解だったとは思うけど、問題はこの監督が自分自身のロマンと映画の中のキャラクター設定をいっしょくたにしていること。 こんな明らかに本筋とは違うような場面を脚本に入れ込んでいたことからもそれは明らかだし、そういう背景を知ってしまうと純粋な物語として見ることはなおさらできなくなってしまう。 観葉植物の演出が過剰 レオンは観葉植物を大事にしていて水をあげたり世話するシーンが何度も映り、これがラストのマチルダが学校の庭に観葉植物を植えて「大地に根を張って暮らしたい」と言っていたレオンの願いを叶えてあげるという伏線になっているのだけど、すごくあざとく、分かりやすい。 こんなに何度も観葉植物を映されたら「きっと何かあるんだろうな」とまる分かりで映画的スマートさが何もない。 ジャン・レノが「殺し屋」であることの説得力のなさ こんなことを言ってしまっては元も子もないけど、殺し屋が子供を預かるはずがない」という大前提での部分でのストーリーの破綻に加えて「この人って殺し屋なんだっけ」と思うほど、ジャン・レノが普通のおじさんにしか思えない。 2人がコスプレをして家で遊ぶシーンはきっと、「残酷な現実と平和な日常」という対比で演出したいのだとは思うけど、「アンダーグラウンドな世界で生きてきた孤独な殺し屋感」があまりにもなさすぎて、主人公であるレオンを全くかっこいいと思えない。 レオンがミルクが好きだったり、ゲイリー・オールドマン演じるノーマンが「嵐の前の静けさは最高だ。 俺がベートーベンを演奏してやるぜ」と言ってから仲買人の妻や娘と息子をショットガンで皆殺しにしてしまう場面など、時計じかけのオレンジを彷彿とさせるシーンがいくつかあるのだけど、「人間の人格を簡単に変えることはできない」というラストに終始した時計じかけのオレンジと比較すると、今まで無情にも何人もの人間を殺してきた殺し屋が一人の女の子に出会った程度で人間的な感情を取り戻していくというストーリーはあまりにも説得力がないように思える。 まとめ 声を上げて好きじゃないと言いづらい映画の代表格である「レオン」。 ゲイリー・オールドマンのぶっ壊れた演技は好きだし、ストーリーがキャッチーなので飽きずに観れるけど「面白い映画」とは思えなかったというのが正直な感想だった。 殺し屋はタランティーノ作品のようにずっとぶっ壊れてて欲しいし、ヒューマンドラマとして見るにはあまりに登場人物たちの心の動きが単純化されている。 そしてレオンがロリコン映画だから嫌だというよりも監督の願望を明らかに押し付けるような演出やセリフがあったことが何よりのマイナス点だと感じた。

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ナタリー・ポートマン「レオンに出たのは黒歴史、性的搾取のクソ映画」

リュック ベッソン ロリコン

「凶暴な純愛」 そんな鮮烈なキャッチコピーを従えて94年に日本公開されたアクション映画、『』。 ジャン・レノ演じる孤独な殺し屋と、ナタリー・ポートマン演じる12歳の少女の物語は多くの観客の心を捉え、今なお高い人気を誇る一作となっている。 しかしこの『レオン 完全版』、現在のバージョンはかなり甘口で調理されているが、元々ははかなり倫理的に激ヤバな映画だったのだ。 という訳で今回は、『レオン 完全版』についてネタバレ解説していこう。 (記事内では以下、『レオン』と記載。 ) 映画『レオン』あらすじ ニューヨークのアパートに住む12歳の少女マチルダ(ナタリー・ポートマン)は、悪徳麻薬捜査官のスタンスフィールド(ゲイリー・オールドマン)の手によって、家族を惨殺されてしまう。 難を逃れたマチルダは、隣の部屋に住むイタリア系の男レオンに助けを求める。 レオンが一流の殺し屋であることを知ったマチルダは、家族の復讐のために人の殺し方を教えて欲しいと頼みこみ、初めは断るレオンだったが、彼女に説得されて渋々了承する。 奇妙な共同生活の中で、やがて二人は友情とも恋愛ともつかない複雑な感情を抱くようになっていく……。 製作費稼ぎのため、たった2日でシナリオが書かれた『レオン』 今でこそ映画監督リュック・ベッソンの代表作と知られる『レオン』だが、元々は製作される予定のない映画だったことをご存知だろうか? 90年代初頭、『サブウェイ』(84年)や『グラン・ブルー/オリジナル・バージョン』(88年)といった先鋭的な作品を世に送り出してきた俊英リュック・ベッソンは、フランス映画界に新しい波をもたらす「恐るべき子供たち」の一人と目されていた。 イケイケ状態のベッソンは、彼が16歳の時にストーリーを思いついたという念願の企画『フィフス・エレメント』の製作に乗り出す……とまでは良かったのだが、題材がSF超大作すぎて資金面の折り合いがつかず、製作が頓挫してしまう(後に映画は97年に公開)。 諦めきれないリュック・ベッソンは低コストで別の映画を一本作り、その興行収入を製作費の足しにしようと一計を案じる。 実は彼にはある秘策があった。 リュック・ベッソンはわずか2日間で脚本を完成させ、それが『レオン』の第一稿となった。 『レオン』は、『ニキータ』の精神的続編といっていいだろう。 彼にとって本作はハリウッド初監督作品となり、予想をはるかに上回るヒットを記録する。 さらに言えば、実はリュック・ベッソンは『レオン』続編の脚本にも着手していた。 フランスの映画監督オリヴィエ・メガトンが監督し、ナタリー・ポートマンがマチルダを再び演じる予定だったという。 しかしベッソンがフランスの大手映画製作会社ゴーモンを去り、自身のスタジオ「ヨーロッパ・コープ」を立ち上げたため、ゴーモン側が別会社で『レオン』は作れないと権利を主張。 結局この企画は流れてしまう。 そのアイデアを元にして、リュック・ベッソンが製作・脚本、オリヴィエ・メガトンが監督、ゾーイ・サルダナが主演した作品が『コロンビアーナ』(11年)。 直接的な関連性はないが、『ニキータ』、『レオン』、『コロンビアーナ』は実質的な三部作なのである。 元の脚本は倫理的に「アウト」な真性ロリコン映画 マチルダは、レオンに対してこんな風に愛を告白する。 「あなたに恋をしたみたい。 初めての経験よ」 「初めてでどうして分かる」 「感じるの。 (お腹を押さえて)ここが温かいの」 また、彼に初体験を迫るシーンではこんなセリフを言う。 女の子の初体験は大切なの。 その後の性生活に影響が。 姉が持っていた本で読んだの。 私の友達は初体験を大切にしない。 好きでもない男の子と平気で……。 ただの背伸びよ。 初めてタバコを吸うのと同じ。 幸せな初体験をしたいわ どー考えても12歳の少女のセリフではない!!!!!!!!! この二人が一線を越えることはないが、明らかにこの映画には、「年端もいかない少女が、中年男性を精神的に虜にしてしまう」というロリコン映画のフォーマットが備わっている。 ロリコン映画といってもなかなか一般ピーポーには馴染みが薄いが、スタンリー・キューブリックの『ロリータ』(62年)をはじめ、『シベールの日曜日』(62年)、『プリティ・ベイビー』(78年)など、特にヨーロッパ映画では数多くロリコン映画が作られてきた歴史がある。 おそらくフランス人のリュック・ベッソンも、映画少年だった頃にロリコン映画の洗礼を受けていたに違いない。 何せ元の脚本では、マチルダとレオンは肉体的に恋人関係になるというシーンが描かれていたくらいなのだ! ナタリー・ポートマンの両親からの圧力が原因で、このシーンは削除されることになるが、もう倫理的に完全「アウト」である。 そしてこの作品は、彼の映画の中の記憶だけではなく、実人生の記憶も引き写している。 映画の冒頭に金髪の売春婦が登場するが、演じる女優のマイウェン・ル・ベスコはリュック・ベッソンの元恋人。 彼女の証言によれば、11歳のときにベッソンに出会い、15歳のときに32歳の彼と肉体関係を結んだという疑惑があるのだ(93年には彼との間に一女をもうけている)。 『レオン』のストーリーは、彼自身のロマンティックな記憶(ただしかなりロリコン成分多め)によって産み出されたものなのである。 20世紀末に現れた最強ロリータ、ナタリー・ポートマン タバコを吸い、自ら初体験を懇願し、「私が欲しいのは愛か死かよ」というセリフをことも無げに吐くマチルダは、精神的には完全にオトナ。 その一方でミルクを飲み、観葉植物だけが友達で、ロクに読み書きもできないレオンは、精神的に完全にコドモ。 つまり『レオン』は、精神と肉体が完全に逆転している男と女のラブストーリーなのである。 このようなラブストーリーが成立したのも、ナタリー・ポートマンという稀代の美少女の存在があったからこそ。 イスラエル人の血を半分受け継ぐエスニックな美しさは、かつてのブルック・シールズをもはるかに凌駕!ブルック・シールズは「カラダは子供でココロは大人」という微妙なバランスを体現してみせたが、ポートマンはさらに「母性」という飛び道具さえ備えてしまった。 今でこそ『ブラック・スワン』(10年)でアカデミー主演女優賞を獲得した大女優だが、わずか13歳の頃のデビュー作がこの『レオン』。 2,000人にも及ぶ候補者を押しのけて、マチルダ役をゲットした(候補の中には、クリスティーナ・リッチやリヴ・タイラーもいた)。 最初は年齢が若すぎるため、キャスティング・ディレクターから断りの連絡が入ったのだが、それでもオーディションでマチルダが弟の死を嘆く芝居があまりにも圧倒的だったため、リュック・ベッソンが彼女を抜擢したという逸話もアリ。 まさにナタリー・ポートマンは、20世紀末に現れた最強ロリータだったのだ! しかし今現在、ポートマンは『レオン』について「今見るとあの作品はとても不適切だと思う」と語り、「自分の子供にどう見せたらいいか分からない」とも答えている。 現代の視点で見ると、『レオン』は褒められない部分がたくさんありすぎると言うことらしい(そりゃそうだろう)。 ひょっとするとロリコン映画の歴史は、『レオン』で終焉を迎えたのかもしれない。 彼等の逃避行が悲劇的な結末で終わらない訳がない。 つかの間の幸せを噛み締めるレオンとマチルダのシーンすら、もはやハッピー・サッドの極致。 そしてリュック・ベッソンは容赦なく、観客の想像通りに物語を進めていくのだ。 この映画のキャッチコピー「凶暴な純愛」というのは、まさに言いえて妙だ。 リュック・ベッソンは純粋すぎるが故に生きることが不器用な人間たちを、温かな視点で包み込む。 しかし映画の温度は高い。 ヒリヒリすような、皮膚を切り刻まれるような感覚。 そして、それを丁寧にすくいあげるエリック・セラの美しくも哀しい旋律……。 ゼロ年代以降は、才能が枯渇しきったかのように駄作ばかりリースしているリュック・ベッソン監督だが、間違いなくこの作品は映画史にその名を刻むスタンダード・フィルムであると断言しよう! 外部サイト.

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