明治 36 年 西暦。 西暦・元号・年齢・干支 早見表

和暦西暦対応表

明治 36 年 西暦

明治以降は「一世一元(いちげん)」とし、天皇1代の間にただ一つの元号を用いて改元しない。 明治元年9月8日の改元の詔によって制度化。 在位中の天皇は「今上天皇(きんじょうてんのう)」と呼ばれる。 薨去(亡くなられた)された天皇の諡号(しごう/おくりな)は慣習的に在位期間の元号を用いる。 干支(えと)についてはこちらのページを参照。 12月3日を明治6年元日とする。 (1867〜1912) 1867年(慶応3年)徳川幕府から朝廷に政権を返上する「大政奉還」で朝廷が日本の政治の頂点に返り咲く「王政復古」が始まる。 1868年9月「明治」に改元。 同年12月、天皇の名により王政復古の大号令を出す。 明治45年(1912年)7月30日薨去。 大正時代(たいしょうじだい) 20世紀初頭。 1921年11月、疾患のため皇太子裕仁親王 昭和天皇 が摂政に就任。 大正15年(1926年)12月25日薨去。 昭和時代(しょうわじだい) 20世紀半ば。 1926年践祚、1928年京都で即位。 第二次世界大戦終結後、1947年日本国憲法により象徴天皇となる。 昭和64年(1989年)1月7日薨去。 【践祚(せんそ)】 (「践」はふむ意、「祚」」は主人が堂に登る東側の階段、ひいて天子の位の意) 皇嗣が天皇の位を承け継ぐこと。 先帝の崩御あるいは譲位の直後に行われる。 もと即位と同義であったが、桓武天皇の時より別の日に行うことが常例となる。 【薨去(こうきょ)】 皇族または三位以上の人の死去。 【うるう年/閏年(うるうどし)】 日本では明治6年元日より太陽暦(新暦/グレゴリオ暦)を採用。 太陰暦(旧暦)の「明治5年12月3日」を「明治6年(1872年)1月1日」と定める。 新暦(グレゴリオ暦)では4年に1回うるう年を設ける。 平年は2月を28日までとし、うるう年は29日を設ける。 うるう年は「西暦年が4で割り切れる年(干支では子・辰・申)」。 ただし、「西暦年が100で割り切れるが400では割り切れない年は平年とする」。 西暦2000年は100で割り切れて400でも割り切れるので「うるう年」となります。 明治5年11月9日、改暦の詔書と太政官布告により明治6年(1872年)より新暦開始。 ただし先の勅令の内容が「西暦年が100で割り切れるが400では割り切れない年は平年とする」規定をを含まないため、勅令「閏年ニ關スル件」(明治31年勅令第90号)を出して、うるう年の決め方をグレゴリオ暦に合わせ、1900年を「平年」としました。

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和暦西暦早見表

明治 36 年 西暦

明治、大正、昭和、平成はそれぞれ何年から何年まで? 明治、大正、昭和、平成はそれぞれ何年から何年までなのか、まとめてみました。 明治は何年明治は何年から何年まで続いた? 明治は1868年1月25日から1912年7月30日年まで続きました。 江戸時代が終わり、西洋化進みました。 明治時代からは 一世一元の制が取られており、一人の天皇につき、一つの元号が定められるようになりました。 大正は何年から何年まで続いた? 大正は、1912年7月30日から1926年12月25日まで続きました。 約15年間と短いながらも大正デモクラシーなど、現代の文化に大きく影響を与えています。 関連記事: 昭和は何年から何年まで続いた? 昭和は1926年12月25日から1989年1月7日まで続きました。 昭和は即日即位だったので、1926年12月25日まで大正で、1926年12月25日から昭和です。 1926年12月25日は大正でもあり、昭和でもあるのでちょっとややこしいですね。 平成は何年から何年まで続いた? 平成は、1989年1月8日から2019年4月30日まで続きました。 平成は翌日即位だったので、1989年1月7日までが昭和で、1989年1月8日から平成です。 翌日即位の方がわかりやすいですよね。 明治、大正、昭和、平成はそれぞれ何年から何年までかのまとめ 明治、大正、昭和、平成はそれぞれ何年から何年までか、以下にまとめました。 明治:約45年間• 大正:約15年間• 昭和:約64年間• 平成:約31年間• 令和:未定 こうやって見てみると、明治と昭和が長いですね。 昭和は64年間続きましたが、昭和64年は1月1日~8日までと短かったので、昭和は実質63年間でした。 明治・大正・昭和・平成の中では一番長く続き、第二次世界大戦や高度経済成長、バブル経済などがあり、激動の時代でした。 逆に、明治・大正・昭和・平成の中で一番短かったのは、大正です。 なぜ、大正は短かったのかというと、明治が長かったのに加えて、大正天皇は元々体が弱く病弱だったりで、14年と短い間しか続かなかったようです。 明治からは 一世一元の制が取られているので、長い時代が続くとそのあとは短くなりがちです。

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干支(えと)と和暦・西暦の早見表

明治 36 年 西暦

和暦西暦対応表 「熊本文学散歩・歴史・石橋」資料 和暦西暦対応表(明治以降) ・・のページ等で、年号が次々と出てきますので、西暦との対応が必要となり、作成してみました。 間違いがあるかも知れません。 お気付きの点等ありましたら、お教えいただければ幸いです。 明治5年12月3日を 明治6年1月1日とした。 それまでの日本では 太陰太陽暦(旧暦)を利用していたが 明治5年11月9日太政官布告により 太陽暦 グレゴリオ暦 に改暦された。 ただ、ユリウス暦と混同(閏年を4年に 1回と考え、1900年を閏年と考えて いた)していたようで、完全なグレゴリ オ暦が採用されたのは明治31年。 大正・昭和の「改元の詔書」によると 「明治45年7月30日と 大正元年7月30日」及び 「大正15年12月25日と 昭和元年12月25日」は ともに存在します。 しかし「元号を改める政令」で 昭和64年は「1月7日」まで 平成元年は「1月8日」からです。 明治5年12月2日までは旧暦(太陰太陽暦)、西暦の1年とは月日のずれがあり、単純に年号を西暦に置き換えることはできません。 和暦の月日と西暦の月日も異なります。 年号を西暦に置き換えるだけで、月日はそのまま使ってしまいそうですね。

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